[カエド・アロバイン]イエメンの話

スペシャリティコーヒーとは?

現在のコーヒーシーンには大きく分けて二種類のタイプのコーヒーがあり、その一つがスペシャリティコーヒーで、もう一つがコモディティコーヒーです。コモディディコーヒーは主にインスタントコーヒーや大手コーヒーチェーン店などで消費されるのですが、端的にどんなコーヒーかと言うと、「国が規定したざっくりとした単位で選別されたコーヒー」を指します。規定する基準は多種多様で、標高の高さでグレードを選別する国もあれば、スクリーンサイズ(豆の粒の大きさ)でグレードを選別する国もあり、その基準は生産国それぞれで異なります。

 

この基準に沿って生産国全土から集められる農家さんの豆は一つの麻袋にランダムで混ぜられるのでコモディティコーヒーの風味には、一つ一つの麻袋によってばらつきがあります。

どの品種の割合が大きいのか、どんな精製方法なのか、どんな地域でどんな人々によって作られているのかなど不透明さがそのばらつきの要因にはなりますが、その分だけ麻袋一体の値段は安くなり、それぞれの生産国で主に成育されている主要品種の風味が基本的にはコーヒーの味として楽しめます。

 

こうしたコモディディコーヒーのフレーバーは主に国のテロワール(風土)として印象付けされていました。

「エチオピアのモカはこんな感じで、インドネシアのマンデリンはこんな感じ。」

こうしたフレーバーイメージがこれに当たります。

コモディティコーヒーではこうしたざっくりとした国のテロワールを感じたり、ブレンドしたりとカジュアルにコーヒーを楽しめるのが最大のメリットで、比較的安価に楽しめるコーヒーとして広く世界的に愛され続けるコーヒーのタイプです。

 

何百年と続くコーヒーの歴史はほぼこのコモディティコーヒーの歴史と言っても過言ではないほど、これまでのコーヒーの主な楽しみ方でしたが、1990年代以降コーヒー産業のトレーサビリティ化が顕著に増していく中でこうした従来のコーヒーの楽しみ方とはまた違った世界観のコーヒーが脚光を浴びるようになりました。

 

それがスペシャリティコーヒーと呼ばれるもう一つのコーヒーの形です。

「スペシャリティコーヒー」と呼ばれる言葉を最近コーヒー屋さんでしばしば耳にする機会が増えていると思いますが、何がスペシャリティなの?と疑問に持つ方も多いはずです。今回扱うイエメンのコーヒーには、こうしたコーヒーの二つの世界の狭間で生きる生産者の苦悩と希望と挑戦がたくさん詰まっています。僕はコモディティコーヒーの良さもスペシャリティコーヒーの良さも両方バランスよく皆さんに楽しんでもらいたいと思っていますが、スペシャリティコーヒーの良さはこうした生産者の思いが風味にたくさん詰まっているところだと思っているので、今回も少々長いですがご興味ある方はぜひイエメンコーヒーの今を楽しんで頂けると幸いです。

さて、話を戻しますが、このスペシャリティコーヒーが持つ新しいコーヒーの楽しみ方と世界観とはいったい何なのでしょうか?

スペシャリティコーヒーとコモディティコーヒーの違いは様々ありますが、その違いを最も如実に表す点はトレーサビリティから生まれる「情報の透明性」と『テロワール』の表現力の幅の違いにあると僕は考えています。

トレーサビリティ(持続可能性)と呼ばれる情報に透明性が求められるこうしたコーヒー豆を生産する農園は、その情報に対してそれぞれ独自のこだわりを持って僕らコーヒー専門家へ売り込みを行ってきます。

「この品種はめちゃくちゃ珍しいです!」

「この地域はコーヒー豆を栽培するのにとても優れた土壌で、僕たちはその土壌の良さを最大限活かした成育環境を維持するためにこうした努力を行っています!」

「僕たちは精製方法にこれだけこだわっています!」

 

こうやって生産者は付加価値を得るために、僕たちにこだわった独自のチャレンジを情報として提示し積極的に売り込んでくれます。

こうしたコーヒーの生産者たちはとても情熱に溢れ、自分たちの仕事に誇りをもっている方も多く、中には全く未知の風味を開拓したいというパイオニア精神の持ち主さえいますが、往々にしてそうした彼らのフロンティア精神とチャレンジ精神の源流には「なんとなく面白そうだからやってみた」という自由な発想と子供のような好奇心があります。

科学的根拠などしっかりとしたエビデンスや、生産技術知識を持ってやっている生産者の方が少ないので、僕らコーヒー屋はそうした彼らの情熱をエンドユーザーであるお客様にしっかりとした品質保証を与えた上で提供する責任があります。

“生産者の情熱“と”お客様への品質保証“という二つの軸を常に対等で公平な評価のもとで商品としての美味しいコーヒーを成立させるために、僕らコーヒー屋は生産者の情熱とこだわりをカッピング評価という品質や風味の個性を飲んで点数で評価してあげるというジャッジング形式で、売買が成立しています。

 

僕たちはこうした審査のもと80点以上の点数を記録したコーヒー豆のことをスペシャリティーコーヒーと呼んでいます。(品評会など公式な大会での審査の場合は厳密に84点以上のものをスペシャリティコーヒーとして認めていますが、ダイレクトトレードなど生産者とのコミュニケーションを通じて仕入れる際は80点のものでも今後の広がりや生産者の思いをスコアに乗せてスペシャリティコーヒーとして仕入れることもあります。)

この潮流は単純に勢いやなんかお洒落で流行っているというだけでなく、コーヒー産業の負の構造を払拭して、農園に高品質のコーヒーをこだわって作ってもらいそのこだわりを適正価格で売買し、飲む人が幸せになる分だけ比例してコーヒー生産者の生活も豊かなものへと育まれていくことも目的となっています。

カップオブエクセレンスと呼ばれる豆の品評会が生産国各地で行われるなど、コーヒー生産国ではこの流れが顕著になっていますが、こうして生まれるスペシャリティコーヒーの良さのもう一つの点が私たちコーヒーを愛飲する人々がカップから感じられる『テロワール』としての風味の多様性です。

こうした農家さんの丹念なチェリーの生育と様々な創意工夫を重ねた製法によって生まれるコーヒー豆は時に同じ国の豆でも、これまでの国単位のテロワールとは全く違ったテロワールを生み出します。

中には今までのコーヒーの概念を覆すほどのフレーバーを有したコーヒー豆もあったりします。ちなみに僕もたびたび覆されていますが、こうしたスペシャリティコーヒーの選別基準から生まれるコーヒーの味は今までにないほどの多様性を私たちに一杯のカップから感じさせてくれますし、一杯のカップから広がるこの味の多様性から私たちはそれぞれが独自の強い『意味づけ』を日々の生活に与えることができます。

「雨が降っててなんだか気分が優れないし今日はいつもと違うお花畑みたいなあのコーヒーを飲んで元気出そう」

「今日は疲れたし、あそこのお店のケーキと一緒に美味しい深煎りでご褒美してもいいよね」

そうやって私たちは一杯のコーヒーに沢山の意味づけを日々行います。

スペシャリティコーヒーの味の多様性はこうしたコーヒーへの意味付けにも幅を与えてくれ、より日々の日常に色彩を与えてくれると私は思っています。

 

イエメンのスペシャティコーヒー

ここで初めて本題になるのですが・・・皆さんはイエメンのシングルオリジンと聞いて思いつく品種やファームはありますか?

日本の方々がイエメンのコーヒーと聞いて連想される物は“モカ・マタリ''''バニーマタル''だと思います。

これらの銘柄は厳密な区分で言えば、スペシャリティ・コーヒーではなくコモディティコーヒーの中でも高価な特別なロットとして銘柄分けされる“プレミアムコーヒー”というジャンルに区分されます。先ほどの章で紹介したスペシャリティコーヒーの産業としての波は今や半世紀に渡り大きく流れ続けていますが、イエメンでは未だにこうした産業が発達していない結果、私たちが楽しめるイエメン産のコーヒーはプレミアム(特別)なロットではありつつも、シングルオリジン(単一の起源)の探訪までは到達しておりません。

 

この大きな原因となっているのがイエメンで長い間続く紛争です。

世界マーケットではスペシャリティコーヒーマーケットが成長していく一方で、イエメンのコーヒー産業は紛争により世界との交流が困難なため、成長は途絶え、未だに40年前のコモディティコーヒーベースの産業しかありません。

よりよい品質のコーヒー豆を作ろうというスペシャリティコーヒーの生産が拡大して、風味の起源(シングルオリジン)が大きな付加価値を生んでいけばいくほど、品質の保証がスペシャリティコーヒーほど担保されていないコモディティコーヒーやプレミアムコーヒーの付加価値が付けづらくなり、こうしたコーヒーの国際相場は年々下がっています。

 

イエメンの農家さんたちも世界のこうしたコーヒーマーケットの需要に合わせてこだわってコーヒーを作って付加価値を付けて、生計を成り立たせていきたい人々は多いです。ただ国内情勢が不安定なため、イエメンへの入港も厳しく新しい買い手(バイヤー)を見つける販路の拡大は困難を極めます。加えて紛争により経済は破綻し、たびたび土地が荒れるイエメンでは農園の畑を耕して大きくすることもままなりません。

少ない量でもこだわって作ってきた農家さんのスペシャリティコーヒー用のコーヒー豆はこうした過酷な状況では買い手がつかないため、バニーマタルやモカ・マタリなど従来のイエメン産プレミアムコーヒーとして品質の悪い別農家さんの豆と一緒にまぜて大手の輸出業者に安く買い叩かれてしまう以外に道はありません。

結局コーヒーにこだわってもなかなか利益転化できない状況では、家族を養えるほどの賃金にならないため、生活に困る農家さんたちは今、コーヒーよりも高値で売れる「カート」と呼ばれる国内消費用の麻薬を生産しています。イエメンでは、コーヒー農家だった人々が作るこのカートが現在イエメンの社会に大きな悪影響を及ぼしています。カートは他の麻薬物と同様で、人間に対して社会活動を著しく損なう副作用が一般的には社会問題視されていますが、カートは農作物への被害も大きく、イエメンコーヒー産業に対する影響も懸念されています。カートの木は土壌の水分が枯渇するほど水分を吸います。

一度カートの栽培を始めた土壌では、もう一度コーヒーチェリーの木を育ててようと思ってもなかなか今までと同じような美味しいチェリーの実が成りません。加えてイエメンは砂漠地帯なので人々のライフライン用の水を確保するためにコーヒーの栽培は大量に水を使うウォッシュド製法をせず、水を使わないナチュラル製法のみで生産されているほど水は貴重な資源です。カートのように土壌の水を枯渇するほど吸い上げる農作物はイエメンの大地では大量生産に向いている作物ではありません。

いずれ水が枯渇すれば土壌は枯れ果て、イエメンではもはや、トレーサビリティという商品価値を見出すコーヒー産業の発展が絶望的になるだけでなく、人々も住めないような荒廃した大地となってしまう未来すら見え始めています。

Mocha Origins(モカ・オリジンズ)

そうした現状を打開しようと、イエメン のシングルオリジンやマイクロロット商品、所謂トレーサビリティなコーヒー豆だけを専門的に扱うMocha Origins(モカ・オリジンズ)という商社が大分にあります。

この会社は若いイエメン人の兄弟がAPU大学在籍時に知り合った日本人と共に起業した商社です。

彼らはカートがイエメンの人々やイエメンの大地に与える深刻な被害をなんとかしたいという思いから、カートを栽培しているコーヒー農家さんに“スペシャリティ・コーヒー“というコーヒーの形が世界には存在していて、わざわざカートを作らなくてもこだわってコーヒーチェリーを育てればそれを僕たちが少量でも高値で買い、そうした世界市場へ農家の思いと共にコーヒー豆を届けることを精力的に伝え、理解を深め、一緒に素晴らしいイエメン産のスペシャリティ・コーヒーを栽培していこうというスペシャリティコーヒー産業の土台作りと商品化活動を行っています。

 


お兄さんのコサイさんはイエメン現地で農家さんへコーヒー栽培の技術支援の活動を行っています。現地での技術支援には僕らロースタリーショップが行うコーヒー豆のカップチェックの感想や現地の生産報告など品質に対するフィードバックも含めて、農家さんへどうやったら品質が良く風味豊かなコーヒー豆を生産できるかマーケットのニーズも意識した指導を行っています。

弟のタレックさんは大分のAPU大学の留学生だったこともあり、流暢な日本語を武器に日本でコサイさん達が作ったコーヒー豆を僕らロースタリーショップへ届けるバイヤーとして日々活動しています。こうした活動を地道に続け、僕らのもとに届けられるイエメンの小さな農家さん達が丹精込めて育て上げたスペシャリティコーヒーは毎年全部で1416種類にも及びます。

 

企業当初のクオリティはみずみずしくフレーバーの総量が少ないフレッシュで、完熟豆だけしっかりピックしたんだろうなぁという雑味のないクリーンカップの品質だけがとても良いという普通のスペシャリティコーヒーでした。初めてカッピングした時はお世辞にも良いと思わなかったクオリティでしたが、僕が「どれだけイエメンの情勢を踏まえても値段とクオリティが見合ってない」と伝えると「どうやったらもっと良くなると思いますか?」とくどいほどアドバイスを求めてきました。「みずみずしい印象は収穫時期の見極めが甘いんじゃないか?」や「水が使えないなら嫌気性発酵など密閉式の発酵を取り入れても面白いと思う」など色々と初年度は指摘しましたが、その話を聞くタレックさんの声が本当に真剣だったのを今でも覚えています。

 

イエメンで消極的な理由でコーヒーの生産を諦めかけている農家さん達とイエメンのコーヒー豆が本当はもっと美味しいということをまだ知らない世界のエンドユーザーへもっともっとコミットしてイエメンのコーヒーでいつかイエメンの世界を変えていきたいという思いが本当にこの青年たちにはあるんだなと実感した時、“価格とクオリティが見合ってない”と思っていたそのコーヒーにとてつもない大きな付加価値を僕は感じました。

他の産地と比べると本当にイエメンのコーヒーは僕らでも値段が高いなと思います。クオリティベースでみるとその価格は圧倒的にコスパが悪いかもしれませんが、イエメン産のスペシャリティコーヒーという付加価値はもしかしたら僕らが感じる単なる美味しさよりもっと大きな価値があるのかもしれません。

 

 

 

 

古代(エンシェント)ティピカ

実はイエメンはエチオピアと並びコーヒー発祥の地と言われています。

エチオピアのある山火事で空からとてつもない香ばしい香りが人々に驚きを与えたその瞬間にコーヒー豆は発見されたのか、それともカルディというイエメンの遊牧民の少年が暖を取るために焚火した時に香った芳醇な香りからコーヒー豆は発見されたのか?

どちらが本当の起源なのでしょう?

それは都市伝説のような謎がまだまだ残っています。

 

タレックさん達が扱う農家さん達は全て標高1500m以上の高山の頂上付近の雲に年中覆われているような場所でコーヒーを栽培しています。ここでは直射日光に弱いコーヒーノキを日光から守るために中南米や東南アジアでのコーヒー栽培で一般的に行われているシェードツリーという概念がありません。

 

「コーヒーノキを日光にさらして大丈夫なんですか?」

 

コーヒーノキが日光から守られていないイエメンのコーヒー畑を見て素朴に思った僕らの問いが存外な様子だったタレックさんは笑顔で答えてくれました。

「ここでは何百年も昔からずっとこの形でコーヒーを栽培しているけど、コーヒーノキは枯れることなくずっとすくすく成長します。彼らは日本の茶畑のように美しいコーヒー畑の景観をとても大事にします。」

 

日陰はなく日光を全身で浴びるコーヒーノキが段々畑で並ぶイエメンの美しいコーヒー農園とそのタレックさんの言葉を聞いて、僕は現地のイエメンの農家さん達が“古代(エンシェント)ティピカ”と呼ぶ彼らのコーヒーノキにコーヒーの起源(ルーツ)を感じたことを今でも覚えています。

 

「このイエメンの土地がコーヒーノキにとっての本当の居場所なんだろうな」

 

僕はタレックさんと出会って、イエメンの大地とコーヒーノキの強い結び付きを確信しています。

コーヒーノキが何百年もの間、先祖代々脈々と大切にされていて、整備の行き届いた段々畑にコーヒーノキが綺麗に並ぶ壮麗なコーヒー農園の光景はイエメンの農家さん達でしか見たことがありません。

そして、今後もおそらく世界中のコーヒー農園を飛び回っても見つけることは出来ないと思います。

 

それはイエメンがコーヒー発祥の地だからかもしれないし、仮にそうじゃなかったとしても・・・

イエメンの大地はコーヒーノキにとって“自然そのまま”であることは確かです。

 

だからこそイエメンのコーヒーノキは人間が何も手を加えなくてもすくすくと成長するのだと思います。

 

こうしたタレックさんの話や、景観にこだわり壮麗に広がるイエメンの段々畑のコーヒー農園を目にした時、シェードツリーという概念はコーヒーノキが自分たちの生まれた場所から離れ、住み慣れていない過酷な環境にいるからこそ必要なものだったのではないか?という疑問が生まれ、如何に自分が常識という偏見に囚われていたかを痛感させられます。

僕は自分が「価格とクオリティが見合ってない」と思ったそのイエメンのスペシャリティ・コーヒーに僕の価値観では計り知れないとてつもなく大きな付加価値が存在しているのかもしれないと初めにお伝えしましたが、“僕はまだその価値の本当の意味を理解できていない”という言い方の方が正しいのかもしれません。

 

僕はASLAN Coffee Factoryのオーナーとして皆様に提示するコーヒー豆は品質重視でそこにどれだけ生産者の情熱が込められているかを心掛けてセレクトしていますが、タレックさんが毎年届けてくれるイエメンのスペシャリティコーヒーほど僕の価値観でどうやって皆様にその本当の価値をそのままの姿で伝えられるのか悩み続けるコーヒーは今のところ存在しません。

ただ、その価値は結構大きいと思っていて、こうした彼らの活動を多くの人々に知ってもらい、彼らの活動を通じてコーヒーにも様々な世界があるということを楽しんでもらいたいという思いがあり、僕はASLAN Coffee Factoryを起業した年から毎年この時期にタレックさんとコサイさんがイエメンから届けてくれるイエメンの小さな農家さんのスペシャリティコーヒーを扱っています。