【ラス・フローレス農園】ゲイシャの小話

近年、スペシャリティコーヒーの世界において最も有名になった品種があるとすれば「ゲイシャ」であることは誰しもが認めるところだと思います。

 

しかし、この「ゲイシャ」は名前こそ有名にはなりましたが、実際に風味を大事にするスペシャリティコーヒーの世界の中で「ゲイシャ」が持っている最大の魅力は意外と伝わっていないのかもしれません。

 

"A letter from the British Consulate dated 1936 makes numerous references to Geisha Mountain and Geisha coffee. Letter shared courtesy of Rachel Peterson.", Is it Geisha or Gesha? If Anything, It’s Complicated Daily Cofee News 2017年11月9日.Is it Geisha or Gesha? If Anything, It's Complicated - Daily Coffee News by Roast MagazineDaily Coffee News by Roast Magazine

2004年のベスト・オブ・パナマにおいて国際審査員が品種名を聞き間違えてスペルを書き間違えて「ゲイシャ」という呼び名がつけられたのは最もポピュラーな逸話ですが、そもそもの由来となるゲシャって名前は何なのか気になる方も多いかと思います。

エチオピア西部に位置するベンチマジという地域にはジャングルに囲まれた秘境があります。

ここにはニアメット族と呼ばれる先住民が大昔から暮らしており、このニアメット族が神の山と崇めるゲシャ山の麓には「ゴリゲシャの森」と呼ばれる大自然が広がっています。

このゴリゲシャの森に生息している品種が現在スペシャリティコーヒーの世界で最も有名になった「ゲイシャ」と呼ばれる品種の生まれ故郷になります。

「Gesha → Geisha」へのスペル調整は日本の芸者とは関係ないと考えられていますが、エチオピア以外の国でもGeshaの名前を訛りとしてより親しみやすくするためにGeishaの呼び名が使われたりします。

コーヒー業界では「Gesha」も「Geisha」もどちらの用語も許容され、同じ意味で使用できるため、どちらの呼び名も使われます。

 

さて、今では当たり前のように聞くゲイシャですが、実はこのゲイシャ種が世界的に認知されるまでには実は長い年月がかかりました。

 

1950 年代には、このゲイシャ種が特にユニークな個性を有する品種としての認知されていましたが、ただそれと同時にこの品種が非常に環境変化に敏感で難しい品種であることも理解されていました。

そのため最初は商業目的ではなく、今後のコーヒー業界のさらなる発展の研究材料としてエチオピア・ゴリゲシャの森からコスタリカ熱帯農業研究高等教育センターに1950年代に持ち込まれたのがゲイシャ種が世の中に広まっていく最初のきっかけとなりました。

 

ただ、その後ゲイシャは一番最初にパナマに伝わったことだけはわかっていますが、その品種がどうやってパナマに渡ったのかは未だ定かではありません。

 

ただ、その発見も奇跡のような偶然の産物で、その発見秘話はアメリカンヒーローのような奇跡的な商業リリースと共にコーヒーの歴史として残っています。

 

そのヒストリーの主人公がパナマのハシエンダ・ラ・エスメラルダという農場を経営するピーターソン一家です。

 

 画像元:Home Page - Hacienda La Esmeralda (haciendaesmeralda.com)

エスメラルダ農園は、ピータソン家の所有する農園で、現在は第3世代のエリックとレイチェル、末っ子のダニエルによって経営が引き継がれています

1967年、バンク・オブ・アメリカの頭取であったルドルフ・ピーターソン(ダニエルの祖父母)が定年後の拠点として、チリキ県パルミラ地区に数百ヘクタールを占めるアシエンダ・ラ・エスメラルダ(Hacienda La Esmeralda)を購入しました。

 

パナマは昔からコーヒー栽培が盛んな地域でエスメラルダ農園周辺の土地では少なくとも1890年代からコーヒーの栽培が行われていました。

ただ、祖父母ルドルフが買ったエスメラルダ農園は当時、肉牛用の牧草地として使用されており、エスメラルダ農園では、1980年代半ばまでコーヒーの栽培はおろか、当時の農園には数本のコーヒーノキがあちこちに打ち捨てられた状態だったそうです。

 

ピーターソン家がコーヒーの栽培に着手するようになったのはそれから歳月が経ち1987年のこととなります。

 

経営者が祖父母ルドルフから父プライスの世代に代わるとエスメラルダ農園は大きな転機を迎えます。

 

1973年、スウェーデンで教師をしていたルドルフの息子プライス(ダニエルの父)は、父親のルドルフがエスメラルダ農園主を引退したときに、それまでの学術研究員としてのキャリアを捨て、ここパナマに農園主として永住しようと考えを変えました。

 

画像元:Our Story - Hacienda La Esmeralda (haciendaesmeralda.com)

当時、子供のエリックが6歳、レイチェルが5歳で、大自然に囲まれて生活することが子育てをするのにより良い場所であると夫婦で考えたためです。

 

ゼロからのコーヒー農家への挑戦はとても困難を極めます。

しかし、この地域は昔からコーヒーの栽培が盛んでプライスさんは地域コミュニティに対し友好的で、コミュニティへの参加にもとても意欲的だったそうです。

ピーターソン家が1973年以降、着々とコーヒー農園の再開発を順調に行えた大きな背景には長い間この地域で培われていたコーヒーに対する知識と文化があり、その知識と文化を授かることが出来る人間関係を地域の人々と構築してきたからだと思います。

 

ピーターソン家がコーヒー農園としての再スタートを図った1980年代はまだ「スペシャリティコーヒー」と呼ばれるような概念すらありません。

1990年代になって初めてスペシャルティコーヒーという言葉が生まれるまで、この時点ではまだ、パナマのコーヒーは農園や品種が混在した大衆向けの商品でした。

 

そんな状況下でもピーターソン家は着々と成長していき、1994年には農園にコーヒーの精製所を建設します。

いよいよコーヒーを直接自分たちで精製できるようになると、彼らはより一層コーヒーへの情熱を燃やし、1997年により高品質で微妙な違いに優れたコーヒー生産を期待して、バル火山の高地に新しい農園を買い取り、その農園をハラミージョと名付けました。

 

このバル火山の肥沃な大地には買い取った時点で約15の品種がありました。

 

「これから沢山の美味しいコーヒーを作るぞ!」

 

情熱と共に新たな農園の購入と言う大きな決断に踏み切ったピーターソン一家でしたが、その年の1997年に悲劇が襲います。

 

ラニーニャ現象による大干ばつが発生し、雨期の時期に雨が降らず作物は大打撃を受け、ピーターソン家が購入したハラミージョ農園に生えていた15の品種のほぼすべてが死んでしまいます。

 

残ったのはわずかに三種類。

 

幸運にも高地に植えられていたカツアイ(Catuai)、カツーラ(Caturra)、そしてのちのゲイシャ(Geisha)の3つの品種だけが残りました。

エスメラルダ農園によって有名となったゲイシャはまさに、この土地に偶然植えられていて、奇跡的に生き残った品種でした。

 

悲劇の中で飲んだ残った3種類のうちゲイシャだけはこれまで飲んだことのある普通のコーヒーとは全く異なった衝撃的な味わいで、末っ子で当時すでに父プライスの農園を手伝っていたダニエルはこのゲイシャを飲んで「良いコーヒーとは何か」に関する考えを改めることになったと言います。

 

 

父プライスは息子のダニエルからこの品種は感動するほど他のコーヒーとは全く異なった味わいが出ることを聞いて、この品種をオークションに出品しようと提案します。

 

当時のパナマにはボケテ地区というピーターソン家が所有する農園がある場所とは違った地域にアメリカスペシャルティコーヒー協会のディレクターを務めるリック・ラインハートがパナマのコーヒーの品質を高めるべく熱心な指導をしていた時期でした。

 

ダニエルは自らリックのもとにそのゲイシャを持っていき、彼にこの品種をカッピングして品質を見てもらうよう頼みました。

 

快くカッピングをしてくれたリックでしたが、その味に困惑を覚えます。

 

「これはパナマじゃない・・・エチオピアだろ・・・!!」

 

パナマ産のコーヒーの数々を現地で扱い農家に指導をしてきたリックでさえ、衝撃的すぎる味わいにエチオピア産コーヒーが混じっていると勘違いし、パナマ産コーヒーとは信じなかったそうです。

しかし、このコーヒーにエチオピア産コーヒーとは違った微妙な特徴があると思い直し、より際立った特徴と味わいがあることを発見しました。

 

その後、リックの推薦のもと、ゲイシャが出品されたベスト・オブ・パナマ(BoP)(Best of Panama)では、より大きな混乱がありました。

 

ゲイシャが通常のパナマ産コーヒーとは思えないほどフルーティーすぎるフレーバーであったため、ダニエルは「変な発酵をしている、違う国のコーヒーだ」と思われて、失格になるかもしれないと思ったそうです。

 

幸いなことに、この大会に参加していたリックがあのカッピングテーブルでの衝撃的な出会いの後にこのコーヒーについて深く調べてくれていたことにより、失格になることはありませんでした。

そして、ピーターソン一家は見事優勝を果たし、当時のベスト・オブ・パナマ(BoP)の最高額を記録し、ゲイシャ種とともにエスメラルダ農園は一躍”時の人”となりました。

 

画像元:Our Story - Hacienda La Esmeralda (haciendaesmeralda.com)

と、長くなりましたがこれがゲイシャの誕生ヒストリーとしてコーヒーの世界では語り継がれています。

 

ちなみに、当時の人々はゲイシャの人気は流行り廃りがあり、3、4年でみんな飽きるだろうと思っていたそうです。

 

ゲイシャは独特の風味を持つことで知られており、特徴的な花の香りと、強烈なフルーツの香りが主な特徴としてよく語られます。

一般的にはストーンフルーツ系のフレーバーベクトルがあるとされており、マンゴー、グアバ、パパイヤ、柑橘類の香りがすることが多いです。

 

ただし、コーヒーから感じられるフルーツフレーバーの種類は産地(テロワール)によって異なることも同時に理解しておかなければいけません。

 

ゲイシャ種が持つその独特のフルーツフレーバーは、すべての始まりであるエチオピアにまで遡ることができますが、現在商業的にリリースされるすべてのゲイシャが同じ特定のベクトルに向いた風味があるわけではありません。

 

その風味はゲイシャという品種の個性と合わせて、風土(テロワール)によって決定付けされます。

 

エチオピアで育つゲイシャにはエチオピアの土壌が風味に大きな影響を及ぼしますし、コロンビアであればコロンビアの 、パナマであればパナマの土壌の風味が感じられるようになります。

品種そのものが持つ個性はそのコーヒーノキが成育する土壌条件によってフレーバーとしての風味の方向性に大きな違いを生み出すこともコーヒーの楽しみ方の一つとして忘れてはならないのです。

 

ただ、テロワールとのかけ合わせによって様々なベクトルを指し示すこの複雑で特異なゲイシャの風味プロファイルは、ゲイシャコーヒーとして世界中の熱心なコーヒー愛好家を魅了していることは紛れもない事実だと思います。

 

僕はコロンビアのような若いエネルギーに溢れる生産者が大好きで、なかなか皆様にこのエスメラルダ農園を提案する機会がありませんが、いつか特別な機会にこの農園のゲイシャを紹介できたらいいなと思っています。

その時を楽しみにしながら今回のゲイシャをこのヒストリーと共に楽しんで頂ければ幸いです。

 

参考文献:Haciend La Esmeralda Homepage : Our Story - Hacienda La Esmeralda (haciendaesmeralda.com)

文責:ASLAN Coffee Factory 柳生 弘志