[ファン・マーティン]シドラ?F1ハイブリッド?

シドラ種という新しい品種は2010年以降研究が盛んにおこなわれるようになったF1ハイブリッド研究の中で生まれた品種となります。

そのため、シドラ種の紹介をするうえで、個人的にはまずF1ハイブリッド品種の紹介は欠かせないかなと思っています。この“F1(雑種第一世代)”という言葉はコーヒー栽培だけに関わらずその他の農作物や生物など多くの遺伝子研究分野で用いられる言葉です。

F1は(英語:First Generationの略称)とは異なった対立遺伝子をホモで持つ古代の交雑の結果生まれた“第一世代”という意味で、コーヒー豆の品種の場合、例えば「エチオピア・ランドレース[1]×カトゥーラ[2]」を交配することによって生まれた品種がF1ハイブリッド品種となり、名称が決まるまでは研究時の交配記録と検体ナンバーでの名称記録が行われます。こうしたF1ハイブリッド品種の特徴は、「優勢の法則」や「ハイブリッド活力」など、バイオテクノロジーによる高いレベルの適応性とパフォーマンスを有することが知られています。例えば「ハイブリッド活力」という視点において、コーヒー豆のF1品種で重要かつ際立った特徴の1つとしてよく紹介されるのが、環境適応力です。

(写真元:https://www.sustainableharvest.com/blog/f1-hybrids-part-ii

F1品種はコーヒー栽培において従来のアラビカ品種と比べて、より広い気候適応性が認められています(これは生産者にとって苗木を買って、植木しやすいという利点に繋がります)。さらに病気、霜、干ばつなど、栽培時の様々なストレスに直面した際の回復力も強いため、この「ハイブリッド活力」により従来の純粋な系統品種と比較して、育種から商業リリースまでの時間が短縮されたことが明らかとなっています。(純粋な系統品種の場合は25〜30年に対してF1品種は10~20年と言われています。)。

まだF1ハイブリッド研究が始まったばかりの2012年頃は、先行資料が無い為、「持続的に高い生産メリットを有するかどうか」など持続可能性のある品種かどうかが全く不透明でした。そのため、研究は盛んに行われる一方で、実際に生産者ベースまでこのF1ハイブリッド品種を普及・浸透させるべきかどうかは議論が真っ二つに分かれていました。(写真元:https://www.cafcaf.de/kaffeeinterviews/world-coffee-research-f1-hybrid/

ところがそれから10年近くの研究蓄積によって、“両親のどちらかよりも多くのチェリーを生産し、各親が一人でいるよりも病気や害虫に対してより耐性がある”ということが事実として認められるようになりました。F1ハイブリッド品種はゲイシャ種のような高いカップ品質と耐病性を維持しながら、非ハイブリッドよりも有意に高い生産量を有する傾向があり、研究の初期試験では、カップの品質や耐病性を損なうことなく、22〜47%高い収量を示したデータまでも記録しました。コーヒー豆のF1品種研究はまだまだ新しいもので、研究下地に脆弱性があることはコーヒー業界全体として認識されながらも、こうした研究成果から「少なくとも一部の国では、コーヒーの生産未来を救うスーパーヒーローになるのではないか」という期待と注目が高まっており、すでにマーケットに商品として流通するほどの広がりが出ています。

Can it really be a Super‐Hero? (本当にスーパーヒーローになれるの?)

(写真元:https://www.dc.com/comics/superman-2016/superman-20)

ここまでの話だと、生産性にも優れ、ゲイシャ種を超えるような素晴らしい風味も併せ持った夢のような品種のように聞こえてきますが、F1品種がリスクフリーであるわけではありません。

ハイブリッドは伝統的な品種よりも優れた性能を示していますが、どのような成育特徴があるかなどは育てていく中で初めて明らかになっていくため、その扱いには従来の伝統的品種とは全く異なる管理と栄養の増加、並びにスタッフへの慎重な教育など農業生産に対する知識の莫大な量と造形の深さに加えて、臨機応変に対応できる経験値と教育体系が必要になってきます。

(写真元:https://www.cafcaf.de/kaffeeinterviews/world-coffee-research-f1-hybrid/)

加えて、F1の種子は保存が出来ない、種子から子が生まれないのではという仮説も存在します。しかし、先行資料が存在しないため、F1ハイブリッド品種を導入するという選択は世界中の農家の大多数にとって実は非常に危険な選択も伴っているとしか言えません。コーヒーノキは植えてからコーヒー豆としての実際の商品価値が生まれるまでに3年はかかります。仮にある農家がF1シード(種子)を植えた結果、植え付け後3年待って結果的に植えたF1シードでは何らかの原因で持続的なコーヒーの生産が出来ないと判明した場合、すぐにコーヒーノキをまた植え替えたとしても実質6年間生産を失うことになります。

この場合の機会費用は経済的に壊滅的なものになる可能性があり、F1ハイブリッドの商業リリースには、農家の教育とコミュニケーション計画が伴うべきであるという議論は常に警鐘されてしかるべき点です。F1ハイブリッド品種の研究はコーヒー栽培に大きな革命を起こすのは間違いないですが、それが必ずしもすべての農家で非常に良い効果をもたらすとは限りません。あくまでその地域と地元の働き手にとって適応したオペレーションを組み込めるかどうかが前提でなければF1ハイブリッドの魅力的な果実の味は生産者にとって悪魔の果実となってしまいます。私たちは“素晴らしいコーヒーと出会いたい”という私たちの独自のニーズと目標でコーヒーをテクノロジーしていきますが、その一方でそれぞれの農家には独自のニーズと目標があるということも忘れてはならないと僕は思います。

ABOUT Sidra

2010年以降のエクアドルコーヒーにおいて最も大きな変化の一つとして注目されるのが、シドラ種と呼ばれる全く新しい品種の導入です。この品種は先ほど紹介したF1ハイブリッド研究の中でエクアドルが開発したF1ハイブリッド品種[3]になります。このシドラ種によって、原生品種の風味特性にオリジナリティがなく、スペシャリティコーヒー産業の発達が遅れていたエクアドルは、2015年以降ボリビアと並び世界的に注目される産地の一つとなっているのは間違いないでしょう。その注目度は主に生産者たちからの関心が大きいですが、その理由はシドラ種が持つ2つの大きな特徴が挙げられます。

一つは生産メリットです。病気に強く丈夫で、しっかりとした幹からなるシドラ種は葉の色も深く濃い緑色です。そのためチェリーを直射日光から守る日陰もしっかりと作れるので、チェリーの状態も良好に育ちやすいです。加えて、コーヒーチェリーの果実自体も密度が高く、農場で未完熟と完熟豆の選別が簡単だと言われています。 ゲイシャ種のように優れた風味を持つ品種はその分だけ比例して生産コストがかかってしまうのがこれまでの常識でしたが、「ハイブリッド活力」による高い収穫量を実現するシドラ種は他のアラビカ品種にはない大きな生産メリットがあると言えます。

二つ目は風味です。

「レッドブルボン」と「ティピカ」のナチュラルミューテーションによって産まれたハイブリッド種のシドラ(Sidra)の語源はスペイン語で「リンゴ酒」を指す“シードル”。リン酸含有量がとても高いことが風味の最大の特徴で、その名の通り、基本的なフレーバーとしてリンゴを思わせるような明るくすっきりとした酸質があります。しかしながら、その含有密度が高いため、豊かなボディ感がありジューシーな酸を楽しめ、余韻で鼻に抜けるベルガモットや、スイカズラのようなフローラルなアロマが特徴ベースです。

品種本来の風味特性として強烈なアロマとジューシーな酸を併せ持つコーヒー豆は数あるスペシャリティコーヒーの中でもほんの一握りです。さらに加えて栽培と生産コストが比較的安定している品種となると、近年ではゲイシャ種しか僕は思い当たる品種がありません。

こうした中で、現在世界中から注目を集める品種がシドラ種です。“Next GEISHA(ネクスト・ゲイシャ)”という冠名さえ与えられ、世界各地の生産者たちから関心を集める理由は、こうした生産メリットと風味特性の二つの車輪に支えられています。ここ数年では生産者シーンのみならず実際のコーヒーマーケットでの注目度も高まってきています。

(写真元:https://sprudge.com/)

2019年ボストンで開催されたWorld Barista Championship 2019 Boston(ワールドバリスタチャンピオンシップ)では、チャンピオンのジョン・ジュヨン氏、3位のコール・トロード氏の二名がシドラ種を大会で使用し、この年のWBCにおける一番ホットな話題となりました。

(写真元:https://sprudge.com/)

今後さらに、数年の歳月の中で“シドラ”という名前が私たちコーヒー愛好家にとって聞き慣れたワードになることは間違いないと僕は思っています。

About Finca Juan Martin

ファン・マルティン農園は、バネクスポート社(Banexport S.A.)によって運営されている実験的な農園です。コロンビア南部に位置するカウカ県のソタラ市にあり、ソタラ市から田舎道を走って2000mを超える小高い丘のような土地に農園が広がっています。

ファン・マルティン農園では、様々な品種の栽培、収穫、加工を行い、より付加価値の高い優れた品質と適正な栽培コストの実現を目指し、それに向けた適切な製造プロセスを開発することに重点を置いています。

また、バンエクスポートはコロンビアの小規模生産者を国際マーケットと繋ぐエクスポーターとしての役割も担っており、こうした自社農園で得た新しい知見や情報を小規模コーヒー生産者たちへフィードバックすることも惜しまず、彼らの模範となるような取り組みも精力的に行っています。

ここ近年の取り組みは、生産者が主体的に取り組める付加価値の高いコーヒー生産を手助けするためのプロジェクト作りに精力的で、彼らの代表的なプロジェクトの一つにピンクブルボン・プロジェクト[4]などがあります。

Banexportの技術指導はとても具体的で、苗木同士の植樹間隔や、生産品種の選定など、ファン・マルティン農園のような彼らが直接運営する試験農園で培ったノウハウを元にBanexportの農技師を中心に技術指導が行われます。

 

マルティン農園ではバンエクスポートが独自のコーヒーを生産するためにここで様々な試験的なコーヒーの栽培と精製過程が行われています。

今回ASLANで扱うシドラ種もとても新しい品種で、研究の下地すらまだまだ薄いです。

それ故に、まだ品種として不透明な部分も多く、導入すること自体に懐疑的な農園も多い品種です。

マルティン農園ではこうした品種も積極的にテストしていきますが、ただ新しい品種を鳴り物入り的に商品化するわけではありません。

このロットのコーヒーチェリーは完全に熟したもののみが手摘みされます。

視覚的な判断としては深く濃い赤みのチェリーのみで、加えて糖度計測器でチェリーの糖度を測り、糖度18°Brix以上の場合にのみ、熟練のピッカーさんによって手摘みされます。

今回はウォッシュド製法になりますが、乾燥までに発酵工程を2回取り入れているのが今回のロットの肝と言っていいと思います。

コーヒーチェリーの状態で48時間好気性発酵させた後、パルピング後、プラスチックタンクにて36時間の嫌気性発酵を行い、最後に2回洗浄し、しっかりと粘液を洗い流します。発酵後は放物線状の乾燥機で1215日間乾燥されます。

放物線状の乾燥機には、全体の湿度と内部温度を測定するセンサーがあるため、マルティンさんはこまめに数値をチェックし、湿度が高く温度が低い場合は乾燥した空気を導入します。

乾燥工程では乾燥機によるドライの環境管理に加えて、14回の攪拌移動を行い、乾燥ムラも防ぎます。こうして出来上がるマルティン農園のシドラ種はまだまだ議論の余地が残る新しい品種ではありますが、その分だけカップから漂ってくるコーヒーの香りは未知に富んでいて、とてもエキサイティングです。

 

[1] ランドレース:ランドレースとは、もともと野生のコーヒーの木から派生しており、その各地域特定の農業生態学的条件に適応し、栽培されてきたコーヒー品種と定義されます。エチオピアには現在無数の品種があり、すべての品種の特定は不可能とされていますが、大きく分類するとこのランドレースと半野生種(何かしらの形で人工作用が影響を及ぼして変異した品種)の2つのカテゴライズが存在します。ランドレースという呼び名は近年普及した“野生種”の別名で、要はエチオピアの各地域で昔から生息しているコーヒーノキがそのままの形で受け継がれてきた品種という意味です。

[2] カトゥーラ:1910年頃、ブラジル・ミナスジェイラス州で発見されたブルボンの突然変異種。現在はブラジルのみならず、中南米における主要品種の一つとなっている。

[3] (World Coffee Research“ワールドコーヒーリサーチ”の2022年の遺伝子検査で、シドラ種は「エチオピア・ランドレース」に分類されました。ただし今回、僕が理解しているシドラ種の情報と、現段階で集められる資料の中ではこのシドラ種は“ハイブリッド研究過程の中で生まれた”という主張も根強いため、今回の紹介ではこうした主張のもと作成しています。)

[4] ピンクブルボン・プロジェクト:収穫までの3年間のサポートや収穫後の価格保証を約束する事で、各生産者に生産性の高い品種を植える事からカップ評価の高い品種を生産する事にシフトしてほしいと願い、Banexportが始めたプロジェクト。