ASLAN COFFEE FACTORY
ケニア / キアリアウォッシングステーション SL28,SL34・ウォッシュド(100g~)
ケニア / キアリアウォッシングステーション SL28,SL34・ウォッシュド(100g~)
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生産国:Kenya(ケニア)
生産地:Kianbu / キアンブ群
生産者:Kiaria Washing Station(キアリア・ウォッシュングステーション)
品種:SL28,SL34
標高:1,500m - 1,800m
精製方法:Washed( ウォッシュド )
ローストレベル:Cinnamon Roast /浅煎り~中浅煎り (1crak⁺75sec)
CUPCOMMENT / カップ評価
Flavor(フレーバー):Black Currant(カシス/クロスグリ)、Pink-Grapefruits(ピンクグレープフルーツ)、Amanatsu(甘夏)
Aroma(アロマ):Floral⇒Blacktea(フローラル⇒ブラックティー)、Fruity⇒Berry⇒Blackberry(フルーティー⇒ベリー⇒ブラックベリー)
Acidity(酸味):Fruity⇒Berry(ベリー)、Fruity⇒Citrus Fruits(柑橘系果物)
Sweetness(甘味):Brownsugar⇒Caramelized(ブラウンシュガー⇒キャラメリゼ)
Mouthfeel(マウスフィール):Big Body(ビックボディ),Berry(ベリー),Honey(蜂蜜)
After Taste(アフターテイスト):Berry⇒Blackberry(ブラックベリー)、Blacktea(ブラックティー)
Roasters' Comment
かつての僕のコーヒーの世界は苦味原理主義が掌握する深煎幕府鎖国体制下。
空は常に立ち込める黒い煙に覆われ、街にはジョンコルトレーンのブルートレインの音色が鳴り響く。
ああ、素晴らしきかな、にっぽん。
時代錯誤とも読むべき我が珈琲の味は壊れた羅針盤
壊れた羅針盤が示す世界の端はヴィレッジヴァンガードで
永劫の安息が約束された自己陶酔的幸福世界では常に”Big E”がコーランを紡いでくれる
青い列車は僕をどんな日常的罪悪感からも贖罪してくれる魅惑の地へと運んでくれるのだ
そんな逃避的幸福世界感に満ち切った青年の孤島に突如やってきたケニア船は
見たこともない淡色のコーヒーを砲台に「開国しなさい」と言わんばかりにレモングラスの爽やかな香りを打ち鳴らす。
渋めのマスター将軍に代わってコーヒーの教示を示してくれるのは”ばりすた”と呼ばれる異国の乗組員だが、彼女はケニア産のコーヒーのことをケニアコーヒーとは決して言ってくれない。
代わりにエスエル28やらエスエル34やら呪文のように何かを言っているが外国語なのでほとんどわからない。
ただ彼女が淹れるケニア産のコーヒーは聞いたこともないアングラビートと共に優しく街に流れていく。
幕府の原理主義者たちにしてしまえば、これはもはや濁流だろう
気付けば、青い列車は走るのをやめていた
音もいつの間にか言葉になる
立ち込める黒い煙のヴェールを切り裂くように天から降ってくるカシスの光が
原理主義によって抑圧されてきた好奇心たちを目覚めさせる
革命の旗印には「Modal Soul」
鳴り響いたアングラビートが言葉になって好奇心を駆り立てた
take you right back to birth
(生まれた瞬間に戻してやる)
カシスの閃光で開かれてしまった我が世界はもはや飢えてしまった
未知なる好奇心をもっとよこせ
ASLANケニアの愛好家の皆様大変お待たせしました!
今年のケニアロットはかつての思い出を鮮明に思い出してしまうほどベリー、シトラスをベースにしたジューシーなカップで個人的にお気に入りのロットです。
質感の程よいクリーンさも相まって、ぼんやりとカシスやオレンジを連想するティア2属性のフレーバーバランス。
良い意味ではっきりとしないフレーバーはエモい系のアナログ写真のように心地よい思い出のジャストケニア。
KIANBU
キアンブ(Kiambu)という地名の由来には諸説あります。 この地域には多くの川や小川が流れ、水資源に恵まれた丘陵地帯が広がっています。
これらの支流の多くは、ナイロビ川の水源の一部を成しています。
この地域に古くから住むキクユ族の言葉(キクユ語)で「Ki-ambu」とは、「水の豊かな場所」や「湿地帯」を意味すると言われています。
写真元:Lomography キクユ族 · Lomography
キクユ語では、「Ki-」が場所や地域を表す接頭辞としてよく使われ、「Ambu」や「Ambo」は「水」や「川」に関連する語として解釈されることがあります。
キアンブでは、ケニアの他地域と同様、20世紀初頭から植民地時代の農業開発の一環として、コーヒー栽培が始まりました。
当初はヨーロッパ人入植者によるプランテーションでの栽培が行われていましたが、独立後は土地改革や農民協同組合の設立が進み、小規模農家によるコーヒー栽培が盛んになりました。
ケニア中央州のキアンブ(Kiambu)郡は、首都ナイロビの北西35kmに位置するため、ベッドタウンとして近年都市化が進んでいます。
そのため、最近では交通網や市場へのアクセスが良く、コーヒーの流通・販売がしやすい場所としても知られるようになり、自分たちの土地でコーヒーを育て、協同組合を通じて製品を集約・販売するシステムが発展。
現在では、キアンブはケニア国内でも有数のコーヒー生産地になっています。
KIARIA FACTORY
キアンブにあるキアリアファクトリーには地域の零細農家さんから集めたコーヒーチェリーが午前中から運ばれてきます。
このキアリアファクトリーを運営するのは各地に8つの精製所(ギティトゥ、キアイリア、カルウェティ、イキヌ、キマティ、ムトゥヤ、ンゴチ、ングムワ)を持つギティトゥ組合です。
組合員数は約8,000人、コーヒー栽培面積は約1,280ヘクタールに及びます。
1970年代、キアンブ郡のギトゥンドゥリ(Gitunduri)で設立されたこの組合はキクユ語で「大きな森」を意味する「ギティトゥ」を名に、かつてこの地域に広がっていた豊かな森林を象徴しています。
組合は、各ミルから選出された委員によって運営されており、生産者への教育や技術支援などの情報提供も重視し、生産性の向上と品質の改善を図っています。
また、ナイロビコーヒー取引所でのオークションに農家を招待し、コーヒーの販売プロセスを直接見学できる機会を提供するなど、透明性とコミュニケーションを大切にし、信頼関係を築くことで、組合の長期的な成功を図っています。
PROCESS
さて、ここまでバイヤーから頂いたキアンブ群の地理情報と生産背景に関して紹介しましたがこっからは個人的に気に入っているケニアコーヒーの話になります。
ケニアの風味は浅煎りでも深煎りでも”ビックボディ”からくる立体的な風味が最大の特徴ですが、これはケニアの生産者が伝統的に大切にしているウォッシュドプロセスからくる風味です。
なので、ケニアコーヒーをリリースする際は何度でもこの話をします(笑)
初めてASLANのケニアを買う人はもちろんですが、以前からASLANのケニアを愛している常連の皆さんまで懲りずに何度でも読んでください(笑)
-Washed is more suitable for mass production than quality, and natural is the mark of high-quality coffee. Is that true?
日本では”ナチュラル”コーヒーが良いコーヒーで、”ウォッシュド”コーヒーは大量生産に向いてる工業型農業用のコーヒープロセスと思っている方が圧倒的に多く、なんとなく『ウォッシュドよりナチュラルのほうがこだわってるコーヒー』という風潮を感じます。
ブラジルなど中南米コーヒーの文脈テキストではそうした観点からみてあながち間違いないかもしれませんが、ことアフリカの生産諸国に至って言えば、実はそうでもないんです。そして、その違いには面白い地理的背景が潜んでいます。
ケニアやエチオピアが位置するアフリカという大地は豊かな自然に恵まれていますが、この大地の年間降雨量は中南米と比べて少なく、昔から水は命を紡ぐ貴重な資源です。
もちろん、地域によって程度は違います。コーヒーが良く育つ中央アフリカは比較的雨が多い方ですが、それでも大量の水を産業廃棄物にしてしまうウォッシュドプロセスは、水が貴重なアフリカにおいてそれだけで大変高い付加価値になります。
実際アフリカの各生産国がウォッシュド製法に昔からこだわりが強いのもこうしたバックグラウンドが関係していて、ケニアはその中でも特にこのウォッシュドコーヒーに対するテロワール(風土)ブランドを自負している一国です。
ナチュラルプロセスは収穫したチェリーをそのまま乾燥させて脱穀すればコーヒー豆に出来るので、ケニアのナチュラルプロセスは海外に輸出できない粗悪品を国内消費用として生産に使用する際やインスタント用コーヒーとして生産する際に使用されるのが伝統的です。
最近では、国全体のコーヒー産業構造が大量に水を使うウォッシュドに偏るのはSGDSの観点から良くないと危機感を抱き、「脱ウォッシュド」の農業コンセプトを掲げるマイクロミルが出始めるなど、スペシャリティコーヒーの生産において如何に”ケニア・ウォッシュド”というブランド力が国内外で認知されており、その生産に偏っているかが垣間見えます。
WHAT EXACTLY IS SOAKING?
ここまでケニアコーヒーが如何にウォッシュドプロセスのコーヒーにプライドを持っているかを紹介してきましたが、ケニア・ウォッシュドの最大の特徴は「ソーキング」です。
昔からケニアの生産者たちは他国の生産者たちとは異なり、ウォッシュドの発酵工程まで終えたパーチメント(殻を覆った生豆の呼称)をそのまま乾燥させるのではなく、きれいな水で一杯にしたタンクに漬けて一日ほど寝かせます。
これをSoaking(ソーキング)と呼びます。
今ではアフリカの他生産国にも行う国はありますし、中南米の生産者でもケニアの手法を真似てソーキングする農家もいます。
そのため、他国の農家はソーキングを「ケニア式」と呼ぶこともあります。
最近の中南米の農家はSoaking(ソーキング)によって促される”発酵”に着目してこの手法を取り入れますが、ケニアの人々は元々からそんな意識があったわけではありません。
どちらかというと、この工程で「生豆を綺麗に洗う」イメージを強く持っています。
僕がケニアの農家と話したときは「きれいな水を使って不純物を取り除く」と話していたのが印象的で、なんとなくお米を研いでる感覚に近いかなと感じました。
コーヒーサプライチェーンへの感度が高いケニアの輸出業者や農家はこのソーキングに対し、現在では”標高の高い地域で取れる硬い豆を柔らかくして浅めの焙煎でも上手く熱が通るようにしている”と確かなプロセスの根拠を提示してくれるようになりました。
ただ、元々は「水で洗うことによって雑味がなくなる、綺麗になる」というちょっと妄信的で感覚的なところからはじまっています。
それでも伝統的な手法として存在し続けたのはケニアがこのソーキングに対し、プライドを持っていたからでしょう。
今回のロットであるキアリアウォッシングステーションも、ソーキングが施されたクラシックなケニアウォッシュドになっています。
ぜひ、ここまでのストーリーを踏まえて”プライドオブケニア”のフレーバーを楽しんでください。
SL28,SL34
最後に品種の勉強をしたいコーヒーマニアのために、今回のロットを構成するケニアオリジナル品種の2種類の紹介を補足しておきます。
先ずはそもそもSL(エスエル)って何?って話からざっくりしていきましょう。
コーヒーの品種を体系的にかなりざっくり分けると大きく3つの時代背景に分布されていきます。(ざっくりなので異論は認めます)
1:【スーフィズムと大航海時代】1500年代~1700年代(当時の中東世界の支配下で種子がエチオピアからメッカまでの巡礼地沿いにスーフィズム教団を中心として伝搬。イエメングループはここでエチオピアグループから派生。その後、大航海時代の植民地政策の流れで世界各地に第一次伝搬)
2-a:【アフリカでさび病最初の大流行】1869年~1910年代(セイロン島のコーヒーの木がさび病で全滅。その後、アフリカでさび病が大流行。研究者たちが躍起になって病気に強いDNAを持つ品種選抜を開始。)
2-b:【中南米でさび病大流行】1950年代(アムステルダム・ジャワ系のティピカグループとは別の新たな品種群が中南米に伝搬。ここで伝搬するのはさび病に耐性があることが研究によって判明した農業用選抜群。Ex.ゲシャ1931)
3:【東ティモールの奇跡】1927年(人工交配ルート。「東ティモールの奇跡」と呼ばれる世紀の大発見によってロブスターの優性遺伝を継承したアラビカ種の開発が可能に。)
SL系の品種が誕生したのは時代背景的に2になります。
さび病が大流行したことによってアフリカの当時のコーヒーの木の生態系は壊滅的なダメージを負います。
その中でも生き残ったさび病に強い耐性を示した品種を今後の農業用品種として選抜していく流れがここで起きます。
そして、SLは当時、タンザニアからケニアにかけて品種選抜の研究を行っていたScott Laboratoryies(スコット研究所)の略称です。
これが今に続くケニアオリジナル品種の誕生ですが、本当にざっくりとした説明なので詳しく知りたい方は以下を参照してください。
先ずは毎度お馴染みのWorldCoffeeResearchの品種カテゴリーをそのまま抜粋。
[ Background ]
ーSL28ー
遺伝的分類 : ブルボン-ティピカグループ(ブルボン種との関連性)
血統 : 「タンガニカ干ばつ耐性」のセレクション。ブルボンのような遺伝的背景。
ブリーダー : Scott Agricultural Laboratories
歴史 : SL28は、アフリカで最も有名で高く評価されている品種の1つです。その結果、1930年代に最初に選ばれたケニアからアフリカの他の地域(特にウガンダのアラビカ種栽培地域では重要です)、そして現在はラテンアメリカに広がりました。
この品種は中高地に適しており、干ばつに強いですが、コーヒーの主要な病気にかかりやすいです。
SL28は、その「素朴さ」で注目に値します。
ここで言う「素朴さ」とは一度に何年も、場合によっては数十年も手入れせずに放置し、その後、成功した生産に戻ることができることを意味します。
ケニアの多くの地域には、樹齢60〜80年のSL28の木があり、まだ生産的です。
SL28は、旧スコット農業研究所(現在は国立農業研究所、カベテにあるNARL、詳細は以下)で選択されました。
1935年から1939年にかけてスコット研究所で行われた個々の木の選択には、SLというプレフィックスが付けられ、さまざまな起源の42本の木が選択されています。
ここで選抜された42本の木が収量、品質、干ばつおよび耐病性について研究されました。
SL28は、1935年に”タンガニーカ干ばつ耐性”と呼ばれる個体群の1本の木から選択されました。
1931年、スコットラボの上級コーヒーオフィサーであるADトレンチは、タンガニーカ(現在のタンザニア)のツアーを実施。歴史的文書によると、彼はモドゥリ地区で干ばつ、病気、害虫に耐性があるように見える品種が育っていることに気づきました。
その際に、種子は収集され、スコット研究所に持ち帰られ、そこでその干ばつ耐性が確認されました。
それは、その子孫であるSL28に取って代わられるまで広く分布しました。
SL28は、この集中育種の時期のプロダクトと見なされました。
最近の遺伝子検査により、SL28がバーボン遺伝グループに関連していることが確認されています。
ーSL34ー
遺伝的分類 : ブルボン-ティピカグループ(ブルボン種との関連性)
血統 : ティピカグループのような遺伝子的背景。
ブリーダー : Scott Agricultural Laboratories
歴史 :SL34は、1930年代後半にケニアのスコット農業研究所で最初に選択されました。SL28と同様、1935年から1939年にかけてケニアのスコット研究所で行われた個々の木の選択には、「SL」というプレフィックスが付けられているので、SL28もSL34もここで選抜されたコーヒーの木になります。
なお、SL34 は、スコット研究所での研究が地元の私有地所有者と協力して行われることが多かったため、ケニアのカベテにあるロレショ エステートの 1 本の木から選ばれました。その木には「フランス宣教団」とラベルが付けられていました。
スピリタンとして知られるフランス人宣教師は、1893年にブラ(ケニアのタイタヒルズ)に伝道所を設立し、そこにラレユニオン島由来のバーボンコーヒーの種が植えられました。ブラからの苗木は、1899年にセントオースティン(ナイロビ近郊)の別のフランス伝道所に運ばれ、そこからコーヒーを栽培したい入植者に種子が配布されました。これが、いわゆるフレンチミッションコーヒーの起源です。
フランスの宣教師を経由してラ・レユニオンから直接コーヒーの種子が移動したため、フレンチ・ミッションはバーボンの別名であると広く理解されています。
しかし、最近の遺伝子検査では、SL34がTypica遺伝子群に関連していることが示されています。SL34がフランス使節団の人口から選ばれたという元の話が間違っている可能性があります。
個人的なまとめ
WCRの調査結果はいつも歴史的背景の中から特に重要な部分を時系列的にまとめてあるので、理解するのが難しいかと思いますが、ここで大事なのは3つでしょうか。
1.SL品種の由来はスコット農業研究所が病気への耐性がある品種選抜によって農業用品種として選抜された品種群の総評であること。
2.SL28はタンザニアのモドゥリ地区を調査した際に発見し、持ち帰ったブルボングループの品種
3.SL34はSL28とは伝搬が異なり、カベテ地区の農園にあったコーヒーの木でティピカグループの品種であること。(SL34の伝搬に関しては元々フランスがレユニオン島ブルボンを持ち込んだとずっと思われていましたが、DNA鑑定によってティピカグループであることが判明しその説は根拠が乏しくなりました。)
SL28はもともとビッグボディでジューシーなカップを表現するコーヒーが多かったし、SL34はそれに比べてフローラルで繊細なボディをカップで表現するコーヒーが多かったので、こうした風味の明確な違いがDNAの違いからも見て取れます。
日本ではあまりSL28とSL34をシングルオリジンで楽しめるケニアクロップがないので、ここでその実感を得ている人は少ないと思いますが・・・個人的には「あー、やっぱりグループ群が違うのか」とDNAの観点から頷ける結果となっているのが胸熱ポイントです!
それを踏まえて、WCRのSLカタログの総評をここであえて言うなら、
SL34がティピカグループであることを断定出来た
これこそ調査結果の集大成と言えます。
ースコット農業研究所の歴史ー
スコット農業研究所(現在の国立農業研究所、NARL)は、1922年に植民地時代の英国政府によってケニアに設立されました。
農務省に代わって農業研究を実施し、ケニアの農民に技術的なアドバイスとトレーニングを提供しました。
スコット農業研究所は、昆虫学者、菌類学者、植物育種家を雇用しました。
以前は部門の中央オフィスに収容されていたコーヒーセクションは、1934年に研究所に移され、24エーカーのコーヒー専用の土地がありました。ユニットの名前は、その建物の歴史に由来しています。
1913年に療養所として建設され、第一次世界大戦中は戦時病院として使用された建物は、スコットランド国教会の宣教師であるヘンリー・スコット博士にちなんで名付けられました。
1922年に農務省が建物を引き継いだとき、彼らはそれらをスコット農業研究所と名付けました。ケニアのスコット農業研究所とタンガニーカのリアムンゴ研究ステーションは、東アフリカのコーヒー育種の主要な中心地になりました。
研究は研究所で、私有地所有者と協力して行われました。
研究所の歴史には、「輸入品種の試験は、研究所での作業の顕著な特徴です...望ましい特徴を示す個々の木からの選択が栽培されています。」
その他のコーヒーの研究には、収量の比較試験、接ぎ木実験、剪定、日陰試験、被覆作物の効果などが含まれていました。
1944年、ケニアはコーヒー研究を、野外実験のためのより良い設備を備えた専用のコーヒー研究ステーションに移すことを決定しました。
ジャカランダエステーツ(ルイルの北20マイル)は380エーカーです。
1949年に稼働を開始しました。
変電所は、1957年にアッパーキアンブ、1958年にメル、1938年にキタレ、1959年にビクトリア湖、1957年にキシイにも設立されました。
引用元:World Coffee Research | sl34

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